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金光学園音楽部吹奏楽団の歴史1《創部》
20070828152554.jpg金光学園音楽部吹奏楽団は
1919年(大正8年)に創部しました。
それまで音楽部は運動部に付属していましたが,
大正8年秋の体育会の時に楽隊が組織され
郡内の小学校や金光教青年会等に招聘されて
大いに重宝がられたと記録されています。
左の写真は始めて楽団が作られた時の
オールメンバーの記念撮影です。

創部当時を振り返って  (松井為吉郎 初代部長)
 「楽器は学校当局が整えて下さったように覚えています。
 当時中学校には音楽の時間はなく,従って専門の先生はおらず,
 全くの素人ばかりの集まりで“君が代”のほか数曲の小学校唱歌を演奏できる程度,
 それでも秋の運動会に初出演して,競技用の早いテンポのたった一曲を,
 朝から晩まで繰り返し演奏しました。」
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【2007/05/29 15:27】 | 部のあゆみ | page top↑
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金光学園音楽部吹奏楽団の歴史2《昭和初期》
『ほつま昭和6年62号』より
年と共に次第に発達して来た我が音楽部は部長三宅先生のご熱心によって
新しい太鼓とクラリネットがあてがわれ,それに幹事を始め部員一同の
不断の研究と練習とによっていよいよ充実し,
本年はその全盛と言っても過言ではありますまい。
我が部では次のような規定を設けて技能の進歩と楽器の保全を図ることにした。
 1.部員は受け持ちの楽器を責任を持って扱うこと。
 1.部員は受け持ち以外の楽器を勝手に使用せざること。
 1.部員以外の者は絶対に楽器に触るべからず。

当時を振り返って   (中野幹雄)
 「昭和3年頃,私は学校の近所に住んでいた関係でよく遊びに行きました。
 その時,校門脇の高い校舎の角の部屋の窓を開けて
 兄さんたちがクラリネットやコルネットを吹いていい音色を聞かせてくれました。
 体格のよい金光鑑太郎先生が小さなピッコロを上手に吹いておられたのも覚えています。
 秋の運動会には校庭の隅に高いやぐらを組んでにぎやかに演奏してくれました。
 『軽騎兵』や『天然の美』などはそれで覚えました。」
【2007/05/28 15:47】 | 部のあゆみ | page top↑
posted by 金光学園音楽部吹奏楽団
金光学園音楽部吹奏楽団の歴史3《戦後》
20070828155744.jpg 昭和22年の春,復員後金光小学校に赴任された
中野幹雄先生は,伝統あるブラスバンドを
再発足させるために校内にある古い楽器を
引っ張り出し,我々15名にスパルタ式で教え込み
戦後何もない中で我々も毎日一生懸命に
練習の日々を過ごしました。
当時は楽譜も全くなく中野先生作曲の
マーチ『進め』と『元禄花見踊り』の二曲を
ひっさげて方々の学校,グランド,劇場,岡山後楽園,博覧会にと活躍をしました。
昭和24年9月,東京の皇居前広場で戦後初めて行われたボーイスカウト全国大会に
参加した我々は日の丸を掲げた戦後初の公式パレードで,3600人,前後1200メートルの
大行進を唯一のブラスバンドで先導し,日比谷・数寄屋橋・新橋・銀座・日本橋・
東京駅へと紙吹雪やテープの舞う中を先頭で歩きました。
国旗を掲げてブラスバンドでパレードをすることは戦後禁止されていたところを,
この時初めてマッカーサーの指示により許可されたとのことでした。  (今井重信)
【2007/05/27 15:58】 | 部のあゆみ | page top↑
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金光学園音楽部吹奏楽団の歴史4《1950年~1972年》
20070828163952.jpg 現在の活動の基礎が築かれたのが,
昭和30年代だといえる。
特に昭和37年に行われた第17回岡山国体では,
開閉会式,ウエイトリフティング会場で演奏し,
そのための楽器の充実に伴って
活動は飛躍的になった。

20070828171139.jpg音楽部だより40年第2号より  (萬木堯旺)
 「「第1位,金光学園高等学校」のアナウンス。
 とたんに涙がポロポロ出てきた。
 僕は人に涙を見せるのは好きな方じゃないが,
 今度はだめだった。苦しかったことが,
 次々に思い出されてくる。(中略)
 もらった賞状とトロフィーの入った箱を抱えて
 駅まで行った。
 列車の中でトロフィーを見,賞状を読んでいるとまた涙が出てくる。
 あわててデッキに飛び出した。テープを持ち帰り何度も何度も聞いた。
 とにかくこれほどの感激は生まれて初めて味わったものだった。」
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【2007/05/26 16:27】 | 部のあゆみ | page top↑
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金光学園音楽部吹奏楽団の歴史5《1973年~1992年》
20070831170430.jpg1973年(昭和48年)に佐藤正俊が就任し,
この年はコンクール出場をやめ,
定期演奏会を開くこととなった。
以後,定期演奏会が活動の中心行事となる。
85年に第3回日中青少年学生交流大会,
90年に第1回日豪青少年学生交流大会に
参加するなど活動を海外にも広げた。
20070831170440.jpg
86年には,アンサンブルコンテストにおいて
木管五重奏での全国大会出場を達成した。
また,1982年にはOBバンド結成,
85年父母の会,90年後援会が発足し,
以降,部の活動を支えていくこととなる。



20070829165533.jpgコンクールから定演へ―ブラスの転機
         (茅原嘉人マネージャーの記録)
 昭和48年7月20日午後1時
 「先生のお宅で高1,高2と先生とで数日前
 提案された「自分たちで自主演奏会を開こう」
 について,議論し,ほぼ賛成で決まった。
 そしてこの提案をどのようにして中学生に
 理解してもらうか話し合った。
 その結果,パートごとにパートリーダーが話して部員全体会議で採決することになった。」
 昭和48年7月23日午後2時
 「部員全体会議を行う。コンクールに出たい気持ちは残っていたが
 定期演奏会をすることで全員一致した。」

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【2007/05/25 17:10】 | 部のあゆみ | page top↑
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金光学園音楽部吹奏楽団の歴史6《1993年~2002年》
20070908131850.jpg この頃から部員数は100名を越えるようになり,
年間の演奏会も30回ほどになる。
地域に根ざした活動を目標の一つに掲げ,
訪問演奏や地域とのふれあいコンサート,
特別演奏等にも積極的に取り組むようになった。
全日本高等学校選抜吹奏楽大会や
全日本高等学校吹奏楽大会にも参加した。
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【2007/05/24 19:00】 | 部のあゆみ | page top↑
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